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【考察】公教育をイチから考えよう【一章】

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メモ(一章分)

著者が観察したもの:日本の公立の中学や高校だけでなく私立の学校や大学も含む学校全体とオランダの教育

論点:日本の教育制度や政策

 

一章で挙げられた日本の教育の欠点と自分もおもったところ

・画一的な教育

・学校ではなく塾が勉強の中心になっている

・テストという狭い基準で評価される

・最小限の投資による効率化

・検定の制度

生涯学習に繋がらない

 

公教育で求められるもの

・自由の相互承認への理解

・教育を受ける機会の平等、そのための福祉

 

 

 

教育改革以前の問題として

 2015年、OECDの学習到達度(PISA)調査で日本は全三項目10位以内と比較的高い成績を取った。

 

一方、本著で優れた教育モデルとして取り上げられているオランダはその三項目の全てで日本に劣る。学習時間の少なさや教員の負担の低さ、GDP比における教育費への支出の割合などでは日本より上であるが、結局学力で負けているではないか。

 

 

もちろん、それらの諸要素を省き学力のみに注視するのは極端である。

 

 

ただ、人は案外そういう風には陥りやすいものだ。こういう両方に優れた点と劣った点があるものをどう解釈すればいいのかというのは実際酷くアンバランスで、かつ拗れやすい問題である。何かしらを省いて、下手な解釈をするのは楽だがそれを他者と突き合わせるなら、問題の解決はさらに酷く困難なものになる。

 

 

残念なことにそんな事例は数多いようで、本著でも教育における信念対立という
項で生徒を統率しようという教師と自主性を重んじる教師の例が紹介されている。

感じるところではどちらも画一的なカリキュラムや授業環境自体は改善しようとはせず、自身で左右できる部分(主に生徒に対する態度)によって授業にある程度しっかりやっている自分を演出するのみである。どちらかが生徒に対して効果があるかは別として、より効果を上げる方法があるのではないのだろうか?

 

そう思って待てども改革が起こらないのは、一つに社会の硬直性が挙げられる。

 

世の中は変われど、未だに学歴社会という観念と実態は一貫して根付いている。学生なら一度は言われたことがあるだろう「もっと勉強しなさいという常套句からしても、一般人にとっては長く勉強していい成績を取ることが当たり前である。それ以外の社会を構築しようという発想はそもそも範疇から逸脱しており、そうでなくとも、学力で劣る教育モデルを採用することはかなり抵抗があるものではないかと予想される。

 

 

「子供はどのように育つべきか」「子供の脳はどういうときによく発達するのか」
「教師はどのような態度でかかわれば学びを最善の形にすることができるのか」

 

 

本著ではこれらの知識が不足した大人が教育業界に多くいること、この事について親が気づいて変えるべきだと、批判しているがそもそも上のようなことを十分に理解している親自体もほとんどいないのが現状である。

 

 

 

 

教育とは何か

一章の前半、リヒテルズ直子氏の日本の公教育への批判を通して思考を重ねると、自身の視点のあやふやさや知識の蒙昧(学力も重要?時間のゆとりも重要?どちらも重要?どういう風に重要?)、視点を構成する上で必要な情報の不透明さ(そもそも学力はどれぐらい必要なのか、何をすることが個人や社会にとって良いことなのかなど)が浮き彫りになっていき、自身が無明に陥っていることがわかる(タイトル通り、イチから考えざる終えなくなってくる)

 

そんな時に出てくるのが、一章後半のそもそも教育とは何かという根源的な問いである。

 

この本のもう一人の著者、苫野一徳氏の意見を参考にすれば教育とは社会全体が自由を獲得するためにある。人間の本質的なところは生きたいように生きるという自由への欲求にあり、各個人がそれを満たすことができれば最も穏やかな社会になる。教育は人類の平和秩序の為、福祉や法と共に必要とされるのだ。

 

ここでポイントとなるのが生きたいように生きるという言葉だろう。これを端的に捉えると、欲しいと思ったら人の物でも奪っていいジャイアニズムのようなものだと勘違いするかもしれない。

しかしそれは人間が物質を最も価値のあるものとしてみなしている場合に限る。

私たちの懸命な努力によって我ら文明の生産物、法、福祉、教育の力能が効果的に分配され、個人の自由が尊重されることに高いレベルでの意義を感じることができるようになったなら生きたいように生きることはそれほど難しいことではない(逆にそれら諸要素の力能が最下層の人間だけでなく中間階級まで及ばなくなってしまった場合、物質は最も価値のあるものとなるだろう)。